用意された包丁

夕食の準備にとりかかろうと台所へ。

いつも洗って立てかけている筈のまな板が横になっていて、その上にタマネギ3個と包丁が。しかもタマネギは袋に入ったままの状態だ。

なぜ?

これはタマネギ料理を作れ!と言う指示なのか?

真相を確かめるため、年寄りどもに話しを聞く。

私「まな板の上にタマネギと包丁があるんだけど、これどうした?」

ジィ「りんごだと思って買ってきたらタマネギだった。」

私「・・・(絶句」

エピソードを憶えているということは”認知症”というより”加齢”による障害だろうか?

まな板にのせるまで、それをリンゴだと思っていたのか?

いやはや、おそろしい限りである。

墓参り兼紅葉見物①

ジィをひきとってから、この時期に毎年かかさないイベントがある。

それは、ジィの友達K氏の墓参りだ。

といっても墓に行く訳ではない。10年ほど前、北茨城の山の斜面でK氏が首を吊って自殺した場所へ、線香と花を手向けに行くのだ。自殺する前の晩にジィと酒を飲んでいたらしく、その酒席で自殺をほのめかしていたという。取り違えだらけのボケたジィの記憶の中で、今だにそれを鮮明に憶えているということは、友達の自殺をとめられなかった罪悪感をまだ持ち続けているのだろう。

ということで、いざK氏の墓参りへ。

ここ数年、①日の出前に家を出発②日の出とともに線香をあげ③観光客で道が混雑する9時前に帰り支度というパターンが定着していて、今年も朝5時前の出発となった。

行きの車中で繰り返される話しは、K氏の自殺の理由について。適当に相づちを打ちながら、借金、病気、老い、孤独、希望の無い人生、どれも他人事では無いょなぁ・・・と、しみじみ思ったりして。

それでも、私個人的には、自分に与えられた時間を自ら捨ててしまうなんてしない。だって嫌でもいつかは死ぬんだし終わりがくるのだ。そんなに急がなくても。

生きていられる時間を捨ててしまうなんてもったいない。

まぁいわば、貧乏性でして・・・。

墓参り兼紅葉見物②

墓参りも無事に終わり、時計に目をやるとまだ9時前だ。思ったより道も空いていたのでバンジージャンプで有名な龍神大吊橋へ寄ってみることにした。

警備員に誘導されるがまま大きな駐車場に車をとめ、人の流れに沿って吊橋へと歩き始めた。橋までは5分~歩くらしい。

ジィに私の前を歩くよう促したが、「道が分からないからお前の後ろをついていく」と言う。それもそうだなと前を歩くことにした。

意外とキツい坂である。

3分ほど経っただろうか。大丈夫かしら?と後ろを振り返ると・・・

居ない!ジィがどこにも居ないのだ! 

よく「目を離した数分の間に行方不明」とか聞くけど、こんな感じなんだろな(冷汗

ま、まずい!どこへ行きやがった? 

慌てて来た道を戻ると、居た!数十メートル離れた場所に、見知らぬ若者達と談笑するジィの姿を発見!何やらしきりにあちこち指を差している。まもなく若者達はどこかへ去って行った。

何度か大声でジィを呼ぶと気づいた様子で、ゆっくりこちらへ歩いてきた。二度とはぐれないよう言い聞かせながら吊橋へつづく坂道を上る。

私「そういや、さっき、若い人達と何を話してたの?」

ジィ「道を聞かれたから、教えてやったんだ。」

私「??? いやだって、そもそもこの辺の道、知らないじゃん。何を聞かれてどう教えたの?」

ジィ「むこうが聞くから。俺は教えてやったんだ!」

聞けば聞くほど要領を得ない回答、しまいにはキレだす始末。

あたりを見渡すも、時すでに遅し。若者達の姿はどこにもみあたらず。

やっちまったな。若者達よ、許してくれ。

迷っていないことを願うばかりである。