闇社会?

一応断っておくが、私は真面目だ。

ご老人を騙すオレオレくん達は全員極刑でいいんじゃないか?とすら思う。

ヤツら詐欺師にとっては、老人に限らず騙せそうな金持ちなら誰でもいいのだろうけど、とにかく許しがたい連中である。

10年近く前の話しになるが、滅多に聞けない内容だったのでここに暴露してしまぉぅ。

平日の、比較的空いたファーストフード店で隣に座ったホスト風のイケメン、キャバ風ギャル、清楚系の若い美人さん3人組。

別に耳をそばだてていた訳じゃなく、たまたま聞こえてきたのは。

この3人組、どうやらホスト風の男性がボスらしく、ボスがキャバ風ギャルに大企業の社員か公務員または中小企業の社長を狙えとアドバイス。

一方、清楚で若い美人さんには医者か博士を狙えと。その上で、男女関係なく医者が一番稼げるからと念押ししていた。

美人局とかクスリ関係というよりは、おそらく結婚詐欺とかそれに近い感じで稼ごうとしてたんじゃないかな?

帰りがけ、ホスト風の男性が大阪ナンバーの黒いスポーツカーに乗車したのを確認。

いやなんで大阪ナンバーなの?ここ茨城なんですけど(汗

いやまじで、嘘のような本当の話しなんだって。

とにかく世の男性の皆様にはくれぐれも気をつけて欲しい。

時代は廻る

若い頃は・・・

つい無理しちゃう⇒脱臼する⇒しばらく寝たきりになる。

このアホみたいなサイクルを何度繰り返しただろう?

その度に転職を繰り返し職歴だけがどんどん増える。頼れる人もなく当然ながらいつなん時も超生活苦。なんとも苦い青春時代。

あの頃を思えば、今はとても幸せだ。

治療の甲斐ありなんとか仕事も続けられている。ど貧乏ながら生活も安定している。

それもこれも誰かしらの「力添え」があってこそだ。

悲しいことにその誰かしら(恩人)は、既に亡くなってしまってたり、疎遠になってしまったり。

かろうじて今も定期的に会える恩人は”主治医”くらいなものか。

あの頃、あの時、心の底から湧き上がる感謝の気持ちを忘れてはいけない。

あとどれくらい生きれるか知らないけど、「あの頃の私」みたいなどこかの誰かに、この恩を返せたらいいのだが・・・。

残り少ない人生、出来るだけ悔いの無いよぅ。とりあえずの3年計画、始めるとするか・・・。

~想像してみる~

例えば自分がもし・・・

●イスラム圏に産まれてその地に生きていたら、躊躇うこと無く命を神に捧げたであろうか?

●ロシア・中国・北朝鮮 に産まれてその地に生きていたら、共産主義を理想に掲げ、指導者の為に命を投げうるだろうか?

●未開の地に産まれてその地に生きていたら、 いっさいの文明を拒否し、自然に命を委ねるだろうか?

●南米ギャングの子に産まれてその地に生きていたら 、犯罪を重ね銃撃戦に命を捨てるだろうか?

それらどんなケースで産まれ育っても、揺るぎなく今の自分で居られるだろうか?おそらく今の自分では居られまい。

揺るがない教育(必ずしも宗教では無い)や知識を礎に、それぞれの環境や経験を肥やしにして人は育つんじゃないかな。

これからの未来を救うのは?なんだろな?

戦争の無い世界、核兵器の無い世界を!

人殺し

「戦争」イコール「人殺し」だ。

どんな大義名分を掲げても「人殺し」には変わりない。

民家を爆撃した時点で「過失」や「未必の故意」という次元を超え、あきらかに意図的な「殺人」にあたる。言うまでも無く人殺しとは犯罪だ。

※ちなみに懲役14万1078年がギネス記録らしい。どうでもいいけど。

ウクライナで親を亡くし涙する幼子が映し出される。

この罪はあまりにも大きい。

チェルノブイリ原発 ロシアが占拠

占拠ってさ・・・

お・・・オマエら、今更なんの用?


チェルノブイリ原発はウクライナ北部プリピャチに位置、1978年から4基が運転開始、旧ソビエトが独自に開発した原発だ。
世界が未曽有の事故に震え上がったのは忘れもしない1986年4月、4号機で人類史上最悪の原発事故が起こった。旧ソ連兵が何人犠牲になったのだろう?正確な数は明らかにされていない。

事故当時、ガキンチョながら薄汚く濁った空を見上げ、「いったい世界はどうなってしまうのだろう?」と本気で案じたものだ。

それから30年あまりをかけて石棺⇒シェルターを設置したのが2016年。正式稼働が2019年。眠っている核物質は200トン以上。

ロシアがそこを占拠しなければならない理由はNATOだけではあるまいと、ついつい勘ぐってしまうのは私だけだろうか???

戦争だってさ

それって、
彼らは敵だ⇒自分を攻撃してくる⇒やられる前にやっちまえ⇒だって正当防衛だもん
みたいな?

お国に限ったことでなく我々一般人にも言えることだが、まさに精神病質者の被害妄想そのものだ。
大国の主がこの病にとりつかれたら最期、民衆を巻き込み核戦争へ地獄のカウントダウンが始まる。浅はかな大義名分を掲げて戦争なんてされたらたまったもんじゃない。どえらい迷惑だ。勘弁して欲しい。どんな理由があろうとも。

私の祖父は二度戦争でアジアへ渡ったが、三度目はマラリアを理由にどうにか免れたらしい。
何故だか知らないが祖父は当時の写真を大量に持っていて、幼い私にそれを見せながら「戦争だけはしちゃいけない」と繰り返し言い聞かせた。
それらの写真はとても正視出来ないような写真で、トラウマになり震えるくらい残酷な写真だった。
晩年に祖父は「戦争」も「殺人」も「自殺」も、「気が狂っていないと出来ないことだ」と何時も言っていた。
なるほどそれには同意するが、日々垂れ流される信じがたいニュースに触れる度、「人というのはいとも簡単に気が狂う生き物だ」と常々思う。

戦争反対!!!

アルツハイマー

認知症との診断を受け、より詳しい検査を受けた結果、ジィはどうやらアルツハイマー型らしい。

それも、いまいま始まったことでは無いとのこと。5年前にジィを私が引き取る時にすでに発症していたとすれば、セルフネグレクトや人格崩壊?はその影響だったのだろうか?思い当たることだらけで妙に納得。

MRIの画像を診ると、右脳の一部がブラックホールみたいになっていた。欠損してんのか?とにかく右脳の一部分が真っ黒だ。簡単な図形すら描けなくなってしまったのはコレが原因なのかな。加えて脳の萎縮が顕著な上に脳動脈瘤らしき所見もあるため更に検査が必要とのことで総合病院の脳外科に紹介状を書いていただいた。

ちなみにこのMRI、いろいろな設定?があるらしく・・・
CTのように水が黒で脳が灰色に見える「T1強調画像」、それを白黒逆転させた「T2強調画像」、脳梗塞をわかりやすくした「フレアー画像」、新しい病巣を写す「拡散強調画像」など。一般的に新しい脳梗塞や脳浮腫は「T1強調画像」では黒っぽく、そのほかの撮り方では白っぽく見えるんだって。むず。

デジカメも各々癖がある様に、医療機器もメーカーによっておそらく違うだろうから、例えば東芝と日立では同じような設定をしても写り方に差が出るなんてこともあるんじゃないかしら?そこは長年の経験と知識、コンピュータによる画像解析を参考にしながらプロは診断するのでしょうけど・・・いずれにせよ素人が画像を見て分かるものでは無いっぽい。

とりあえず今は症状が悪化しないよう、血圧コントロールと日々の声かけに務めるとしよう。

犯人逮捕!

昨年6月、麻雀店の雇われ店長だった北田和彦さん(当時59)が取手市の墓地に遺棄された事件。 元麻雀店経営者の大坪宗一郎容疑者(31)が捕まったらしい。

犯人ぱっと見、経営者というよりも『受け子』って風貌。けど、この若さで雀荘経営って普通じゃないょね。

この大坪容疑者、事件後に介護施設の紹介業もしていたというから驚いてしまう。助成金狙いかなんか知らんけど、どの面さげて介護ょ?って突っ込みたくなる。介護施設へ入所した途端、身ぐるみ剥がされ⇒息の根止められ⇒墓地に捨てられそうでこわい。

生活圏内でこうした事件が起きると、それって意外と人ごとでは無いのかも?と思ってしまう。ちょっとしたつながり、ちょっとしたはずみ、被害者にも加害者にもなる得る確率は誰しも全くゼロでは無いので。

とにかくアヤシイ人には近づかないことかしら。気をつけなきゃだ。

ジィ、物忘れ外来へ行く①

ちゃんとした専門医に診てもらわな・・と思い、昨年予約しておいた物忘れ外来、いよいよ当日。

受付を終え、こじんまりした面接室に通されると、ケースワーカーに過去から現在までのアレコレを事細かく聞かれまくる。

が、なにせ自由気ままに生きて来たジィ。その複雑な経歴を聞きながら電子カルテへまとめるのも一苦労、かなりテンパってる様子。エンターキーにも力が入る。

ひと通り「取り調べ」を終え、本題である認知症の検査へ。

5年前にジィを引き取った際にも認知症の検査に立ち会っているが、こんな細かいテストだったかな?驚いてしまった。

テストが終わるとジィだけが面接室を出され、そして、私だけにテストの結果を説明してくれた。

ケースワーカー:「このあと医師の診察がありますが、この点数だと認知症に間違いないと思います。」

私「ですょね。」

ケースワーカー: 「介護申請されては?」

私「そうします。」

そしてケースワーカーに今までを労うかのような言葉を頂く。患者だけでなく家族にも寄り添ってくれようとするその姿勢。なんだかな、グッとくる。

深々と頭を下げて面接室を後にした。

ジィ、物忘れ外来へ行く②

親切な医師で、とても丁寧に時間をかけて診てくれた。それもその筈、初診の場合は1時間あまり予約枠を取っているとのこと。ありがたい限りである。

そして医師の診断は・・・

やはり認知症

おそらくだいぶ前から症状があったのでは?ということで、次回、MRI検査の予約をして終了となった。

病院を出たところでジィが仕切りに「良い病院だよなぁ。落ち着く。みんな良い人だなぁ。良い病院だなぁ。」を連発。大絶賛である。

家に帰ってバァにその旨を報告すると、

バァ:「そのまま病院に置いてくればよかったのに(笑」

私:(^^;

笑うしかない。